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炭層メタンガスで地域再生を、夕張市と北海道ガスが連携協定締結【ガス自由化コラム】

ガス自由化ニュース

北海道夕張市がエネルギーの地産地消を目指して北海道ガスと連携協定を締結。夕張市にある豊富なエネルギー資源を活用して低コストのエネルギー利用を進め、地方創生に生かしていく。

2017年5月23日、財政再生団体の北海道夕張市が北海道ガスとエネルギーの地産地消を目指して連携協定を締結しました。市内にある炭層メタンガスなど豊富なエネルギー資源を活用し低コストのエネルギー利用を進めるのが狙いで、将来は限定されたエリアを営業区域とする地域新電力を設立することも視野に入れています。

清水沢地区に先進的な省エネシステムを導入

協定書への署名後、握手を交わす鈴木直道夕張市長(左)と大槻博北海道ガス社長(北海道ガス提供)
協定の締結式は夕張市役所であり、鈴木直道市長と北海道ガスの大槻博社長が協定書に署名しました。細かな事業内容は未定ですが、市が都市機能を集約するコンパクトシティ構想の拠点とする清水沢地区で、新設予定の公共施設や住宅、企業に電気を供給することが計画されています。

北海道ガスが最新型のHEMS(家庭向けエネルギー管理システム)を公共施設や公営住宅に提供し、エネルギー消費を抑えることも検討しています。省エネの提案で顧客獲得を進めている会社だけに、清水沢地区でHEMSを活用した先進的な省エネシステムを実験する考えです。

このほか、北海道ガスは地域資源を活用した分散型エネルギー社会の構築や、地域エネルギーを生かした電力事業の可能性も模索することにしています。一方、市は複合拠点施設の管理コスト削減を目論んでいます。

地域に眠るエネルギー資源を発電材料に

市内には、さまざまなエネルギー資源が眠っています。木質バイオマス発電の燃料となる森林資源や水力発電が可能な河川、炭鉱が操業していた時代に不要な土砂を積み上げたズリ山に含まれる石炭などで、これらを利用して地域に電力を供給することを想定しているのです。

注目は炭層メタンガス

中でも大きな注目が集まっているのは、地下に存在する炭層メタンガスです。石炭層で生成されるガスで、コール・ベッド・メタンとも呼ばれています。採掘が盛んなオーストラリアでは、液化して日本へ輸出しています。

石炭は亜炭から褐炭、亜瀝青炭、瀝青炭、無煙炭と石炭化が進む過程でメタンガスを生成します。生成されたガスは石炭に開いた無数の小さな穴の中に存在し、取り出すことで燃料用になります。

夕張を中心とした石狩炭田はかつて、国内有数の石炭産地で、市内には未採掘の石炭層が多く残っています。新エネルギー・産業技術総合開発機構の推計では、市内の炭層メタンガス埋蔵量は77億立方メートル。石炭1トン当たりのガス包蔵量はオーストラリアより多く、エネルギーとしてすべてを活用すれば市内5,000世帯の1000年分以上になると見積もられます。

ニトリの寄付などで炭層メタンガスの試掘を開始

市は炭層メタンを発電用の燃料に使い、地元住民や進出企業、夕張メロンの生産農家へ格安で電気を供給したい考えです。格安エネルギーを安定供給できるようになれば、企業誘致にも道が開けると期待しています。

市は2016年から清水沢地区の小学校跡地で炭層メタンガスの試掘を始めました。費用は2億3,000万円。財政再建中で予算がありませんでしたが、国の機関の補助金やニトリホールディングスの寄付などで調達しました。

引き続き試掘や生産試験を続け、市内の農家で利用して経済性を評価することも検討中です。北海道ガスは市が発電した電力の余剰分を全量買い取ることを視野に入れており、両者で今後、新会社を設立することも検討します。北海道ガスは「市との連携でさまざまなチャレンジをしていきたい」と意欲を見せました。

かつてガス突出事故で93人の犠牲者

市民は炭層メタンガスに辛い思い出があります。試掘場所のすぐ近くにあった北炭夕張新炭鉱で1981年、ガスの突出事故が発生し、93人が亡くなっているのです。戦後の炭鉱事故としては3番目に大きい犠牲者を出しました。

北炭夕張新炭鉱は1975年から出炭が始まりました。当時の触れ込みは「国内最後の最有望炭鉱」。石炭から石油へエネルギーの中心が移り、九州などで多くの炭鉱が閉山する中、石油危機を背景に国がテコ入れした最後の炭鉱だったのです。

夕張新炭鉱を経営していたのは、北海道炭礦汽船を中核とする北炭グループです。北海道炭礦汽船は1889年に創業し、明治時代から昭和の高度経済成長期に道内で夕張新炭鉱など多くの炭鉱を開発、最盛期は18炭鉱、従業員2万5,000人を抱えていました。

北炭グループは夕張新炭鉱に国から270億円の融資を受け、生産計画の達成を求められていました。計画達成に無理を重ねた結果、事故発生を招いたとの見方も出ています。この事故で石炭見直しの風潮は一気に吹っ飛び、やがて夕張の炭鉱はすべて閉山となります。今回の炭層メタンガスの採掘は大事故の元凶を新たな街づくりの礎にしようというわけです。

観光開発が裏目に出て市の財政が破たん

市は炭鉱が最盛期だった1960年に12万人近い人口を抱えていました。しかし、閉山が相次ぐようになり、市を離れる人が続出します。市は残った市民のために、炭鉱会社から土地や住宅、病院などを借金して買い取るとともに、石炭に代わる基幹産業に観光を位置づけました。

炭鉱跡にテーマパークの石炭の歴史村を開設する一方、折からのリゾートブームに乗り、レジャー産業の誘致を進めました。大規模なスキーリゾートも誕生しましたが、業績の悪化で企業が撤退、市はやむなくホテルやスキー場を買い取り、借金を増やしていったのです。

その結果、財政が破たんし、2006年に財政再建団体(現在は法律改正で財政再生団体)の申請をすることが明らかにされました。抱えた借金は353億円。指定後は財政運営が事実上、国の管理下に置かれました。年間の税収が10億円に満たない市が20年という長い年月をかけ、借金返済を進めることになったのです。

最高の負担に最低の住民サービスで人口が8,700人に

石炭の歴史村観光など観光系の第3セクター会社は破産処理されました。市の職員は破たん前の263人を100人足らずに削減、給与も全国で飛び抜けて低い額にカットしました。市議会議員の定数も9人に半減しています。

東京23区より広い市内に小学校は1校だけ。市の出先機関、図書館などの公共施設も次々に閉鎖されました。子育て支援や福祉サービス、各種補助金も相次いで打ち切られています。地域医療を担ってきた市立病院は診療所になり、病床数が171から19に減りました。逆に住民税など市民負担は最高額まで引き上げられました。

考えうる限りの経費節約を実施して借金を返済してきたわけですが、「最高の負担に最低の住民サービス」などというありがたくないキャッチフレーズがつき、市民の流出に拍車がかかります。人口は3月末で8,700人まで落ち込みました。

夕張市財政破たんの推移

出来事
1943市制施行し、夕張市に
1960第9回国勢調査で最多人口11万6,908人を記録
1981北炭夕張新炭鉱ガス突出事故で93人の犠牲者
1982自治省(現総務省)が緊縮財政を指導
1983石炭の歴史村が全村オープン
1990三菱南大夕張炭鉱が閉山し、市内全ての炭鉱が閉山
2002マウントレースイスキー場を市が買収
2006後藤健二市長(当時)が財政破たんで財政再建団体(現財政再生団体)の申請をする意向を表明
2007財政再建団体に移行
2013市の人口が1万人を下回る
2015コンパクトシティを本格的に推進
2016夕張市の再生方策に関する検討委員会が財政再建一辺倒からの転換を提言。市が炭層メタンガスの試掘を開始。市と総務省、北海道が財政再建一辺倒からの転換で3者合意
2017総務省が市の方針転換を正式承認。市と北海道ガスがエネルギー地産地消で連携協定

夕張市の再生方策に関する検討委員会報告書などから筆者作成

借金返済一辺倒からの方針転換で新たなチャレンジ

約10年間の借金返済で市民の疲弊は極限に達しました。このため、2016年に市の有識者会議が借金返済一辺倒の方針からの転換を提言、市と総務省、北海道の3者協議でもこの方向を確認しました。

これを受け、市は清水沢地区を新たな中心市街地と位置づけ、コンパクトシティを進めて行政コストを削減するとともに、炭層メタンガスなど地域エネルギーの開発に乗り出しました。

市まちづくり企画室は「北海道ガスと協力し、貴重な地域資源を地方創生に生かしていきたい」と期待しています。悲しみのガスを再生への灯火にしようと、夕張市と北海道ガスの新たな挑戦が始まっています。

高田泰(政治ジャーナリスト)

高田泰(政治ジャーナリスト)

関西学院大卒。地方新聞社で文化部、社会部、政経部記者を歴任したあと、編集委員として年間企画記事、子供新聞などを担当。2015年に独立し、フリージャーナリストとしてウェブニュースサイトなどで執筆している。
高田泰(政治ジャーナリスト)
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