震災被災地の福島県浪江町に世界最大級の水素製造拠点、7月から本格稼働へ【エネルギー自由化コラム】
東日本大震災の東京電力福島第一原子力発電所事故により、今も帰宅困難区域を抱える福島県浜通りの浪江町で、再生可能エネルギーを活用した水素製造拠点「福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)」が完成し、安倍晋三首相らが出席して開所式が行われました。浪江町は震災前に2万人余りいた人口が1,200人ほどに激減しているだけに、水素エネルギー拠点の誕生に復興への期待をかけています。
総事業費200億円、安倍首相ら出席して開所式
水素製造装置の規模は最大10メガワットで世界最大級。総事業費は研究開発費を含めて約200億円に上ります。
開所式は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、規模を縮小して開かれましたが、安倍首相のほか、梶山弘志経済産業相、内堀雅雄福島県知事、吉田数博浪江町長ら行政関係者と関係企業の代表者らが出席しました。
安倍首相は開発中の次世代燃料電池自動車に乗って会場に登場し、「世界最大のイノベーション拠点ができた。2030年までに水素製造コストを10分の1以下にする」とあいさつしました。吉田町長は「二酸化炭素フリーの水素を町づくりに活用していきたい」と水素エネルギーへの期待を口にしています。
太陽光発電を使って水を分解し、水素を製造
現場は海沿いの高台に整備された浪江町棚塩の棚塩産業団地内にあり、広さ約18万平方メートル。東北電力がかつて原発の建設を計画し、断念した場所で、約6万8,000個の太陽光パネルに囲まれています。
パネルが生む電力は約20メガワット。これを使って水を分解し、年間最大900トン規模の水素を製造、貯蔵します。1日で燃料電池車560台を満タンにできる水素量です。
水素の製造と貯蔵は市場の水素需要予測に基づいて進めます。さらに、出力変動が大きい再エネを最大限活用するために、電力系統への需給調整を行います。その結果、蓄電池を用いることなく、製造と貯蔵を安定して進めることが可能になるのです。
水素は首都圏へもトレーラーで搬送
3社の役割分担は、東芝エネルギーシステムズがプロジェクト全体の取りまとめとシステム全体、東北電力が電力系統制御システム、岩谷産業が水素需要予測システムと水素の貯蔵、供給を受け持ちます。
製造された水素は圧縮水素トレーラーなどで福島県内や首都圏に運ばれます。主に燃料電池車に使用されるのに加え、定置型燃料電池向けにも利用される予定です。このほか、福島県楢葉町、広野町にあるサッカー練習施設「Jヴィレッジ」など県内外のスポーツ施設、地域の町づくりに活用されます。
FH2Rは既に試験稼働しており、7月から本格稼働します。東芝エネルギーシステムズは「再エネ電力を最大限活用することにより、クリーンで低コストの水素製造技術を確立したい」と意気込んでいます。
再エネで水素生産の新技術確立が目的
政府は2017年末に公表した水素基本戦略で、水素を再エネと並ぶ新エネルギーの柱に掲げました。そのうえで、燃料電池車の普及や水素ステーションの拡充、輸送・貯蔵技術の開発などを目標に挙げています。
日本はこれまで、エネルギーの大半を輸入に頼ってきました。再エネと水で安定して水素を生産できるようになれば、エネルギー安全保障面の不安を解消できます。しかも、新技術が国際的な地位が低下している日本経済のけん引役となることも期待できるのです。
ところが、水素の製造には大量の電気が必要です。製造コストも他のエネルギーより高くなりがちで、この問題を解消するために低コストで大量の発電が可能な石炭火力を使用するケースもあります。しかし、これでは水素製造で大量の二酸化炭素を排出することになり、クリーンエネルギーといえなくなってしまいます。
この点を解決するために導入されたのが、再エネ電力を大量に使用するFH2Rの新方式です。将来、化石燃料が使えない時代が来ることを想定し、新技術を確立するのが今回のプロジェクトの狙いなのです。
東芝エネルギーシステムズ提供
浪江町は今も大半が帰宅困難区域
FH2Rは浪江町にとっても大きな意味を持ちます。浪江町は福島第一原発から最も近いところで4キロしか離れておらず、事故直後の2011年に全域に避難指示が出されました。その後、除染やインフラ復旧、生活基盤の再生が進められ、2017年に一部地域の避難指示が解除されましたが、今も山間部を中心に町の大半が帰宅困難区域のままです。
住民は避難指示で全国に散り散りになり、約1,200人が今も福島県内の仮設・借上げ住宅で避難生活を送っています。町に住民登録している人口は2月末で6,853世帯、1万7,114人いますが、実際に帰還して生活している人はわずか794世帯、1,238人しかいません。震災前の6%に人口が縮小してしまったわけです。
2018年に実施した住民意向調査では、町外へ避難した住民のうち「帰還したい」と答えた人は全体の12%にとどまりました。50%は「帰還しないと決めた」と答えています。浪江町の復興はこれからなのが現状です。
水素の町を目指して道の駅などで活用
避難住民の中には、避難先で新しく生活基盤を築いた人が少なくありません。放射能の影響を怖がる人もまだたくさんいます。住民の帰還を呼び掛ける材料が乏しい中、FH2Rの完成は地域の復興をアピールする数少ない材料です。
浪江町はFH2Rで生まれた水素を地域の復興に活用する計画です。浪江町幾世橋の町役場北側で7月にオープンを予定している道の駅なみえで水素を使って発電した電気を使用するほか、燃料電池車の公用車導入などを検討し、水素の町に生まれ変わる考えです。
浪江町産業振興課は「原発事故の悪いイメージばかりが先行してしまったが、水素を使ったクリーンエネルギーの町に生まれ変わることで世界の注目を集めることができる。町としても積極的に水素を利用し、世界へ情報発信していきたい」と力を込めました。
原発は冬の出稼ぎが当たり前だった住民に安定した仕事を与えてくれましたが、事故により町を悲惨な状況に変えてしまいました。町存亡の危機を乗り越えるため、水素が果たす役割は決して小さいものではなさそうです。
この記事を書いた人
政治ジャーナリスト
高田泰
関西学院大卒。地方新聞社で文化部、社会部、政経部記者を歴任したあと、編集委員として年間企画記事、子供新聞などを担当。2015年に独立し、フリージャーナリストとしてウェブニュースサイトなどで執筆している。